縄文土器を代表する「火焔型土器」。写真は、長岡の馬高遺跡で発見されたもので、この土器を見た岡本太郎は「なんだ、コレは!」と叫んだといいます。
縄文土器と言えば、皆さんはこの火焔型土器を思い浮かべるかもしれませんが、これらは縄文時代に日本のあちこちで作られていた…のではなく、長岡、十日町、津南、三条といった新潟県の信濃川中流域だけでしか作られていなかったのです。不思議なこれらの事実、皆さんはご存じでしたか?なぜそうだったのか?種明かしはまた別の機会にさせて頂くとして、ところで、縄文時代はいち時期(平成10 ‐ 20年)小学校の教科書から消されました。これは「日本人の歴史は大陸や半島から稲作が伝えられて、ようやく発展の糸口を摑んだ」という漠然とした常識が支配していたからではないでしょうか。野蛮で未開な縄文時代を学んでも、何も意味を持たないと、信じられていたからにちがいない。だとすれば、これは大間違い! 日本人が軽視する縄文時代ですが、「縄文人は世界で最も早く土器を作り、世界で最も早く定住生活を送り始めた。定住生活が始まれば、土地の問題などの争いごとが当然起こるのが世界の常識だが、縄文時代は1万年以上もの長い間、争いのない平和な理想郷を作っていた」といった点において、縄文時代は他に類を見ない独自の文化を築いたことで、世界中の人々から注目されているのです。
日本には、縄文時代の素晴らしさを世界に発信しようという「国際縄文文学協会」というNPO法人が存在します。ところが、このNPO法人の名誉会長は、奇妙なことに、日本人ではなく、国際金融資本家の頂点であるイギリス・ロスチャイルド家の当主なのです。世界の人たちが注目する「縄文時代」、もしかすると、そこには、世界の常識を覆す何か重大な秘密が隠されているのかもしれませんね!?
いずれにせよ、せっかく長岡に住んでいる私たちは、もっと「縄文」に目を向ける必要があるようです。皆さん、新潟県立歴史博物館(所在地:関原)には行かれたことはありますか? そこには、縄文文化を世界的視点から紹介するコーナーが常設展示されています。この機会に、是非とも足を運んでみてはいかがでしょうか?