長岡藩の藩主といえば牧野氏が有名ですが、牧野氏の前の藩主は堀氏でした。堀氏は長岡城と城下町の建設、新潟港と信濃川水運の整備など、わずか2年間でしたが、長岡の発展と基礎を築いたと言われています。その後、長岡藩は堀氏から牧野氏にバトンタッチされ、堀氏自身は村上に移り初代の村上藩主となり、村上茶の栽培、鮭の稚魚の捕獲を禁じるなど、産業の振興に尽力したと言われています。
幕末の戊辰戦争では、長岡藩と村上藩は共に奥羽列藩同盟に加盟し新政府軍と戦いました。ところが、結末は対照的でした。長岡藩は、皆様ご承知の通り、河井継之助の指導のもと徹底抗戦し、激しい戦火を浴びました。一方、村上藩は戦況の悪化を受けて最終的に無血開城を選び、城下町を戦火から救う道を選びました。江戸時代から続く町割や建物が、比較的に良い状態で現代まで残されているのは、こういった歴史的背景が深く関わっていたのです。