もう一つの河井継之助記念館

河井継之助記念館河井継之助の墓
パソコン教室の斜め向かいに河井継之助記念館があるのは、皆様ご承知の通りですが、福島県只見町にもう一つの河井継之助記念館があるのをご存知でしょうか?
「八十里こしぬけ武士の越す峠」継之助が重傷を負って長岡から会津に敗走するときに、担架に乗せられ山越えをしながら読んだ一句ですが、会津途上の只見で人生の終わりを予期した継之助は、死の直前、側近の一人・外山脩造に「戦が終わったら、さっさと商人になりゃい」と言ったと伝えられています。脩造はその言いつけどおりに、後にアサヒビールを創設し、阪神電鉄の初代社長となり、阪神タイガース生みの親となりました。しかし、継之助は結局只見町が終焉の地となり、そこにお墓ともう一つの記念館が建てられたわけです。
後年、「東北に人材なし」と嘆いた新政府関係者に向かって、西郷隆盛が「河井継之助が存命ならば、新政府の中心人物となっていたであろう」と言ったことは、あまり知られてはいません。
皆さまもぜひ、継之助のお墓参りを兼ねて、もう一つの河井継之助記念館に足を運ばれてみてはいかがでしょうか?(笠井)

 

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