6月6日(火)、長岡市寿でごみ処理施設見学の後、バスは一路、燕市へ。大河津分水に関することを学べる施設・大河津資料館へ向かいました。
もしも大河津分水がなかったら、新幹線や高速道路もずっと遅い開通だったのかもしれない…そんなふうに思わされる意義ある見学でした。この辺りは、分水路ができるまでは3~4年に一回の割合で洪水に遭っていた。「分水路さえあれば・・・」そう分かっていても、あまりの難工事に資金も続かない。その上、河口部に立地する新潟港が維持できなくなることを恐れた新潟町民による反対運動等もあり、明治時代に工事は一旦中止された。ところが、その後1896年(明治29年)に「横田切れ」と呼ばれる信濃川の破堤による空前の大水害が発生。家屋流出被害は2万5千戸にまで及び、分水建設の声が再び高まり、江戸時代に初めて願い出てから約200年後の1909年(明治42年)に工事がついに再開された。工事は1926年(大正13年)まで、足掛け15年、大河津分水路は当時東洋一の大工事と言われる中で完成した。